僕の話

こんばんは、情報メディア創成学類3年、mast17のかとゆーです。

この記事は mast Advent Calendar 2019 の13日目の記事です。昨日の記事は友人eseboatの カメラはじめました。|eseboat|note でした。すごいいい話だから読んでほしい。

去年も遅刻してしまって、マテウスって人に散々なじられたんですけど今年も間に合いませんでした。マテウスごめん。 

さて、今回のアドベントカレンダーで3回目になり随分時が経ったなあなどと思うんですけど、ネタがあんまり思いつかなかったのでTwitterアンケートを取ったら46%の人間が僕の人生の話を聞きたいなんて言うのでなんかそういうこと書きます。

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技術ネタ3年にもなったら書きたいよなあとか思ったけどそんな力ありませんでした。悲しいね。

 

もくじ

 

人間性の話

人生観というのは結局人となりから派生するところなのかなと思うので、そこを話します。

2年前に書いたアドベントカレンダーでは「クソ真面目すぎて辛い」なんて書きましたが、最近の僕と言ったら自堕落そのものです。惰眠を貪った挙句平気で遅刻したり物によっては2週連続ブッチしたりしてます。当時の僕が見たらなんていうでしょうね。テストやばいぞ。

僕の良くないところは他人は他人と割り切れないところですね。他人に僕の持つ真面目さを押し付けて「あいつはあんなに不真面目だ」「あいつは生活がグチャっててダメ」とか思っちゃうんですね。この辺りについては人の生き方なので口は出すべきではないんですけど、それでも僕なんかよりスペックの高い人間はこの大学にはいっぱいいるので劣等感と嫉妬ですかね、それに押し寄せられて割と頻繁に陰鬱とします。

この頃の僕を返して。

まあこの講義に対する焦りというのは当時に比べて随分と落ち着きました。

そりゃまあ講義ちゃんと聞いてちゃんとテスト受けてちゃんと単位を取るのが至極真っ当なんですが、今思うとかなり焦り妬み僻み嫉みの塊だったので、今くらいゆったり構えてる様はちょうどいいんじゃないかなと思ってます。

加えて、結構この頃に比べれば他者と自分を区別して考えることができるようになったんじゃないかなと思います。これ大事なことで、行きすぎると他人に投射しすぎてこの世の全人間のスペックを重ねて見てしまったりすると悲惨な気持ちによくなってました。面白いですね。あとは大学の講義がこの世の全てではないことを時間をかけてちゃんと受け入れられるようになったってことかな〜とも思います。ただ出席はしよう。 

ここから考えると、これは「慣れた」ということなのかもしれないですが、元来僕っていうのは物事に慣れるのがすごく遅い人間なんです。これは結構生きていく上で致命的で、環境に適応できない生命は死んでいくのでコミュニティに属して生きていく上ではなかなか辛いものがあります。

 その適応力のなさだったりから無力感を感じたり、いまだに他人を羨んだり妬んだりみたいなことが結構あるのです。中身がガキなので。

mastの人間は意思を持って動ける人間がすごい多いイメージなので、先輩同級生後輩、自分の道を開拓して突き進んでる人を見ると「どうして自分は何もできないんだろう」とはなりがちだなとは思います。

でもこれに関しては無力で行動できずに縮こまっているのは嫌だから、せめて自分でちゃんと納得できるような自分になりたいですね。去年から何も成長していない自分を責めているのは何もできなかった自分っていうとても悲しい様になってしまっているので、来年は研究で忙しくてもやりたいことを見失わないようにしなきゃいけないな〜〜〜〜。。。

研究といえばついに研究室配属が行われました。第一希望のロボット系研究室にお世話になることになりましたが、物理に関しては随分曖昧なまま今まで来てしまったのでちゃんと勉強していかなきゃな〜〜〜という気持ち。

今の生活でちゃんと研究室いけんのかお前は。

 

大学入ってから変わったことの話

大学入ってから結構ものの見え方が変わってきて、視野が広がったというか今まで縮こまってたものは一体なんだったんだろうみたいになったので今後はガンガンに視野を開拓していきたいですね。高校時代を今思うと恥ずかしいくらい視野狭かったなあとか。

物事の中でも、言葉の意味を随分深く考えるようになりました。

上っ面だけの言葉、ぱっと聞いただけでは理解しきれない言葉に対して時間をかけてでも噛み砕いて自分なりに解釈することは以前より上手になったのかな〜と思います。

結構最近は大学に入る前よりも性格が、というよりはもともとある我が強い部分がよく出てしまっていけんなあという気持ちになったりします。結構丸い人種だったような気がしたけどな〜とか思っていたけど、ある意味奥底にあったものが出てきているだけなのかと思ったり。

生きている上でどうしても人間関係はつきもので、元来当たり障りなく生きてきた人間だったので意思がぶつかるのとか避けてきたんですけど大学入ってからは感覚が変わってきてコミュニケーションをちゃんと取るっていう当たり前のことを意識していくようになりました。

以前に比べたら衝突したり熱くなったりすることが増えたけど、これはこれで人間らしくていいんじゃないですか?知らないけど。

 

立ち位置の話

組織や何かしらのグループに所属する時、何かにつけてポジションが存在します。

僕は結構人の上に立ちたがりな側面があり、わかりやすいところでいくと静岡県人会の会長やらせてもらったり過去にはクラ代の局長を務めさせてもらったりしたんですが、結構これが向いてないんじゃないかって思うようになったんですね。

上でまとめ役を買って出るのも今までは好きでやってた部分もあるんですけど、意見は結構出せると思ってるし出したい派なので、下にいて色々言うのも割と好きだったり。

向いてないっていうのは、僕の悪いところとして決定力が圧倒的に欠如している、と言うのがあるんですね。最終的にじゃあこれで行こう!ってなる時「本当にこの案でいいのか?」ってことを考えてしまい慎重になりすぎるのかな〜って。

人の上に立つ以上は慎重さより決定力のあるトップの方が組織としてもスムーズにことが進むわけです。それが悪い形になったとしても全体の意思を尊重しすぎて物事を停滞させるよりは余程マシなような気もしてます。ここまで言っても自分がそんなタイプになれるとは思わないのでそれこそ根幹の人間性でしょうかね。

どのポジションで役割を果たすのが一番良い形なのか、いまだに判然としていないのが惜しい部分ですが自分が得意な役割とやりたい役割は必ずしも一致しないことも踏まえて、それを割り切って考えられるようになりたいなと思ってます。

 

何をしていくかの話

 大学に入ってから、特に何かを成し遂げたわけでもなく、その上何も身につけることなく今の今まで来てしまったな〜と思ってます。

興味の幅が広いとは思っていますが、熱し易く冷め易いタイプなのでかなり手放してしまったの物が多く、悪い意味で広く浅い知識になってしまったなあと悔やんでいます。

情報系分野において何につけても知見が浅い人間に何ができようかと、時々不安になるわけです。

無為に院進することに意味は見出せないし、そもそも興味のある分野が本当に好きなのか、そしてやっていけるのかとか。

実は随分前から情報系の世界で生きていくことに対してそれなりの不安を抱えていて、院進について考えたり就職について考えたり、頭が痛くなることばっかりですが棒立ちでいい訳がないので、進んでいかなきゃいけないですね。

ただ自分としては情報系で死ぬまでやっていけるのかと言うと結構怪しい気がしていて、今年は首肩背中が慢性的に痛かったりってことを考えると今のままじゃ途中で体壊して辞めるだろうな〜〜って容易に想像がついてしまうのでこれ早くどうにかしたいですね。

 

ハマりごとの話

急にベクトル変わったけれど、僕の人生の中の1年を彩ったものは話す必要があると思ったので書きます。

最近はサッカーを見るのにハマってて、Jリーグから入ってプレミア見たりラ・リーガ見たりで結構趣味はサッカーに侵されてます。スポーツにハマるのは卓球野球に続いて3個目みたいな感じですが、サッカー今はかなりキテるので同志は仲良くしてください。やる方はからきしダメなのでパスで。

あとは新しい音楽を開拓したり。今年は三月のパンタシア「三月がずっと続けばいい」)、Little Big(「AntIPositive」)、sano ibuki(「決戦前夜」)、髭男(「Pretender」)とかその辺りよく聴いてました。髭男は開拓とは言わないかもしれない。(紅白おめでとう)

そして今年急激に興味が湧いたのは美術館巡りで、5月に東京都美術館クリムト展を見たのをきっかけに森美術館国立新美術館国立国際美術館金沢21世紀美術館とかとかどこかに行くついでに展示を見るようになりました。国立の美術館はキャンパスパスポートが効いていいね。

以前から作品をチビチビと作って人に見てもらうと言う行為をしていたものの積極的に足を運ぶ感じではなかったので、鑑賞者の視点から、そして作者の視点からじっくり展示物に向き合って考えて対話することが楽しかったりしてます。

作者の視点からとかおこがましいけれど、作品を何を考えながら作ったのかを考えることはそのテーマについて深く考察することにつながるので、物の見方について考えさせられる大きな要因かなと思ってます。

あとは2つハマったマンガがあって。

1つ目は「ブルーピリオド」と言う美術マンガで、上のマイ美術館ブームの真っ只中(7月)にツイッターで回ってきたマンガにガンガンに惹かれて全巻買い漁ってしまったわけです。

主人公は美術なんか真面目に取り組んだこともないインテリヤンキーなんですけど、思考のプロセスがだんだん深くなっていくにつれて僕も「あ、これって実はこんな簡単なことだったのか」とか気づかされることが多くて読み応え満点です。これは曲がりなりにも制作をする自分だからなのかはわからないけれど、モチベ高めな登場人物を見てると自分もやるぞって気持ちになれるので気持ちが沈んだ時とか読みます。

2つ目は「アオアシ」っていうサッカーマンガです。これもサッカーにハマってた影響で読み始めました。

これもモチベ系(?)なんですけど、Jクラブユースで愛媛の部活でサッカーしてた主人公がサッカーに対して色々な気づきを得て、周りの人間も巻き込んでチームごと成長させていくみたいな感覚がすごいすこいです。戦術についてここまで論理的に描くサッカーマンガは今までに読んだことなかったので随分お気に入りです。

 

終わりの話

長くなりましたが、どう生きていこうかなとかはちゃんと考えていかなきゃな〜って書きながら思いました!来年の加藤に期待!あとマテウス遅れてごめんね!

 

 

 

平砂アートムーヴメント。

小貫の記事を読んでて、急に思いが迸ってしまったので書き始めてしまった。

目次

僕の部屋、240号室

「哀別/Oblivion」というタイトル、やるべきなら率直に「忘却/Oblivion」にするべきであったなぁと、展示がはじまって相当後悔した。完全に出来心で「英語タイトルと日本語タイトルずらしてみたいな」などと思ってしまった。これは一人よがりな趣味ではない、9号棟全体のコンセプトを揺るがすかもしれない一つの大切な構成要素のなかの名前という、部屋に入る前にわかる唯一の情報なんだと気付くまではずいぶん時間がかかってしまった。

作品解説を少し。 なんだか画像が投稿できないので、知らない人はなんのこっちゃわからないと思うが我慢してほしい。口で言って補えるなら写真はいらないのだ。

自転車は僕とお別れして、彼は部屋に一人で閉じこもってしまうようになった。そういうわけで彼は忘れ去られるであろう存在に成った。引きこもった彼の部屋には誰も入れない。でも、きっとほんの少しだけ思い出して欲しい気持ちがあるはずなんだろう。試しに入ってみると、寂しそうにクマの人形とベッドで横たわる彼がそこにいる訳である。

ものが忘れ去られてしまうことはしばしばあるし、古いものは捨て新しいものに乗り換えるのが常である。捨てられ生を失った彼らはそれでも一人で何か思っているのかもしれない。故人は、思い出されてこそ報われるものである。偶然あなたは生を失ったはずの自転車の部屋に入った。これをきっかけにして鑑賞者にも故人(ここでは故物だろうか)を思い出し偲んでもらえれば、という意図があった。

 

反省

忘れられたくないと思うのは人間の性とまで言えるかわからないが、僕はそう思っている。それを投影したはずの自転車は同じ感情を持ってしかるべきだと思う。

だから忘れられてしまった彼は寂しがっていただから時々扉をあけて欲しかったんだろうに、率直に思いを伝えることを僕が捻じ曲げてしまい天邪鬼な自転車に仕上げてしまった。その最たる要素が入り口のKEEP OUTのテープだ。扉に貼ったそれは鑑賞者に彼の思いを伝えるには不適切であったと、自らが自らのコンセプトに矛盾を与える形になってしまった。

僕は自分で空間を作りながら、彼のことを全然理解できていなかったことに気づいた。魂を吹き込んだ気でいただけで、まるで知った風な口を利くかのような展示をしてしまった。

自分が一番作品を理解しているはずなのだから、これだけ自分が反省しているようでは何も伝わるはずもないし、そもそも適切に表現できていないのだから当然だ。

そして、「寂しいけど強がって入るな!と主張している自転車」を表現するには力が足りなかった。力不足は自覚していたはずで、それなら「寂しがっている自転車」を押し出す方が簡単で訴えかけるには率直な気持ちであるなあ、と感じている。

 

しかし、これはコンセプトにおける反省点。鑑賞者からの意見はまた違う点で反省まみれである。

ある人は「ベッドで寂しそうに寝ているのがドアを開けた瞬間伝わってきた」と言ってくださったが、講評会での先生からのご意見では「一度見たけれど、何もわからなかった。ごめん」と言われてしまった。まさか謝られるとは思わなかったが、当時はすごくショックに近い感情を抱いた気がする。意見収集を自らは行わなかったが、当然のことながら(自分がうまく表現できていない時点でまるで伝わるはずもないのだけれど)僕が思って作った部屋の意図はあまり、というかほとんど伝えられなかったのかなと思う。

その上で先生にキャプションや写真などの補助的な要素を展示の中に取り入れる必要があるとアドバイスをいただき、会期後半はそれに従い写真スタンドとキャプションを設置した。このうえで「自転車への愛を感じた」などとは頂いたが、これはキャプションと写真が与えた新たな心象であり、作品本体が与えた心象ではないのだろうと感じた。ただ自転車を寝かせているだけで愛を感じることはないので。あと、写真が汚かった。白枠がはみ出ないようにやる方法もあったはずなのに、これは完全に最大の悪癖である雑さだ。作品に対して自ら泥を塗ったなと後悔した。

改めて、表現の手法への考えの足らなさをとても悔やんだ。

 

 

展示全体として

特定のものを晒して吊るし上げる趣味はないが、批評的にものを言うためには何かしらを対象としてあげる必要がある。クオリティの面では、僕の作品よりひどいものなんてあまりなかったように感じる。だからここから先はコンセプトとこの展示に対する考え方の話になる。

その上で、部屋ごとに毛色が全然違う、と言うのは僕的には大変好ましいものだと感じている。部屋を開けた時のfirst impressionは僕自身応募した時からずっと考えていたし、実際たくさんの作品が僕に様々な感情を与えてくれたように記憶している。

が、この様相はグループ展ではなく個人の集合体展だ。もちろん作者が違うから意思疎通なしにテーマに合わせることは不可能だろう。しかし、テーマとして掲げられていた「ここにおいてみせる/みる」を適切に表現できていた作品はどれほどあったのだろうと感じる。

自分も含めて、「個人個人のための展示場」としての9号棟になってしまっていたのではないかと少し感じた。

僕は人が住んでいた部屋を使う、ということでインスタレーション作品として部屋を丸々使うことを意識していた。だから展示前に合評会を行った時、作品展示場として使う形の部屋を見てこういう展示方法もあるのかと思った。これについて使い方が悪いとは思わないし、むしろその中で素敵な作品にいくつも巡り会えたので個人的にはすごいありがたかった。

でも、展示全体で見るならばパリッとした統一感は今回必要だったはずだし、そういうところを展示者は合わせる必要があったのかなと思った。ただインスタレーションにすればいいのかっていうとそんなわけはないし、インスタレーション以外はダメなのかというと今回に関して僕はなんとも言えない。

 

 

所属の「らしさ」とは

僕は講評会で先生に「君はメディア創成なんでしょう?そしたら他の子らみたいにメディアからアプローチするとかしてもいいんじゃないの」という旨のお言葉を頂いた。

正直なところ何か僕の中で何かが崩れた気がした。今まで所属なんて関係ないと思って作品を作ってきた。創成だってメディアに頼らないインスタレーションをやったっていいだろうと思って今回の展示も準備をしてきた。

今思えば、ただのメディア創成の学生がインスタレーションをやったってなんの才能も芸もないし、それがただただ荒っぽく稚拙なものだったから、得意な分野から攻めてみたらどうなの?ということだったのかもしれない。当時の発言の意図は感情に押し流されてしまってもう思い出せないのがとても惜しい。

しかし、実は僕はメディア表現を用いて作品を作ることがあまり得意ではない。すごく構想段階で悩んでしまうし、ずいぶんありきたりで稚拙なものに収束してしまう気がして今だに自分でそういう作品を作るのは少し苦手な意識がある。

他の創成の人間の何人かは映像だったりマイコンだったり、「創成らしさ」を感じさせるものだったとは思う。その分均質さを感じさせて、見た瞬間に創成の作品だ、となるものを僕は作りたいとは思わなかった。

だから差別化したっていいんだろうと思ったけど、前述したように僕の作品には意思を訴えかける力が足りなかったから、先生もそういう風におっしゃったのかなと考えている。

 

 

アートってなんだ

ここから先は、本当に僕が思っていることをそのまま飾らずに書く。(上だって率直な気持ちだけど)読んだ上で僕の考えをどんな風に言っても構わない。これは違うと思うっていうのがあったらぜひ聞かせてほしい。僕の芸術に対する観念はきっとガタガタであろうから。 

僕には、アートというのはまだ「わからないもの」という位置付けであることをきちんと告白しておく必要がある。奥深いというより底がまるで見えない。みんなその上で作品を作っているのかもしれないが、僕はわからないものを自分で作ることはできないから、そのせいで今まで思慮の及ぶ程度の表現しかできなかった。これを無理に避けようとして解説を薄くしたのが今回の作品の初期状態だった。

僕の審美性が足りないとか何もわかってないとかぶっ叩かれるの覚悟で言うけど、昔見た美術館においてある「わけのわからない作品」ってあると思う。見る人からは訳わからないように見えても、裏にはものすごい意思が込められていたり、何度も見たりすると何かが伝わってくるかもしれないようなものがある。でもずっと見ていてもなーんにもわからないものだってある。それでもいいんだろう、表面には現れない裏があるっていう、芸術はそういう不安定なものであってもいい、と思っている節がある。

解説を聞かないとわからない作品があっても別にいいと思ったし、そもそも芸術家は圧倒的エゴイストたちの集まりなんだと思うから、大成した人たちはまず使えることから入って成熟して独自スタイルを築き上げていくのだろうとは思う。ただ、その芸術家たちは若いうちから訳わからないものを作っていた訳じゃないし、骨子が確立されてから思い思いのスタイルに広がったと思うので、そこに思い違いがあったのだろうかと少し思う。明らかに僕は未熟なので、伝わりづらい表現に取り組む前にわかりやすく伝える必要があったのかもしれない。

全く見えてこない作品を作る人、とても丁寧な作品解説を入れる人、説明もなしに訴えかけてくるような作品を作る人、色々な人の作品を見た。これは人によってスタイルの確立度合いだったりするのかなと思うが、何れにせよそれはバックヤードの話なので鑑賞者には「わかる」から「わからない」の間の尺度だけで判断される。だからすごく難しいなと思った。どうあるべきなんだろうか。

意味を追い求めるだけでは作品は楽しめないが、意味付けは作品に感情を与えると僕は思う。作者が投影したかったものを鑑賞者に伝える、という所作はポピュラーな作品の在り方だがわかりやすく親しみやすいものなのかな、と感じた。

 

何が正しいとかは絶対無いと思う、だから終わってからもこの展示はエゴがぶつかり合うんだろうと思った。だからグループ展はひどく難しいし、運営をしてくださった二人も運営面のみならずコンセプト面で色々思うところがあったのでだろう。

でもこうやってそれぞれの中にある「芸術」をぶつけ合っていくのは、こういう機会だからすごく難しいなと思いつつ、裏腹にすごく楽しいなと思った。

 

最後に

この機会をくださった運営のお二人には改めて多大なる感謝を申し上げたい。ありがとうございました。

ちょっと肩が痛くてしんどいのでここらで切り上げることにしたい。体が悪いとものも書けないのはなかなか辛いので、皆さん健康にステ振り頑張りましょう。

 

 

 

だらだら2018年を振り返るやつ

ごめんなさい大いに遅刻しました、僕です。

mast Advent Calendar 2018 24日目です。26日目になってしまって本当申し訳ない。

23日は一平さんの「ビデオ中心の学会セッション,CHI Video Showcaseのご紹介! 」、25日はマテウスくんの「度を越した自己紹介」です。マテウスにハッパかけられてなかったらまだ書いてないかもしれない。ありがとう。

言い訳すると24日にAdC入れたときの僕が全部悪いです。特演*1ファイヤーの最中で書く余裕なんてありませんでした、なにがパーリナイじゃ。危うく大学ごと燃やす勢いでした。

mastAdC2018を作ったんですけど、昨年僕は当時そこそこ荒れててcoinsAdCにゲロゲロ吐いてしまったわけですが、内容も内容なのでいい加減敷地内でやろうということを決めまして、アレ?今年まだAdCないじゃんと。作ってやろうじゃんと。
作りました。大盛況ですありがとうございます。2枚目も埋まってホクホク顔です。あと都築さんに「作ってえらい!!!!」ってお褒めいただきました。へへ。
 
みなさんの素晴らしい記事の中で申し訳ないですが、不肖かとゆー、今年を細々と振り返っていきたいなという所存です。
 
ところで僕手汗すごいんですけどパソコンの手を置く場所って手汗残んないですか?人のパソコン借りて残してしまった時とても申し訳なくなるんですけど。
 
 1月
「コンテンツ表現工学」という授業がありまして、前半戦の実装発表を11月末推薦休みハッカソンにより無事に(無事とは言ってない)終え、残すは秋CでPV映像を作るという段階でありました。ここで僕はPPを切らしてしまい、相当動きが鈍ってしまいました、情けない限り。
夢叶さんには声の出演と映像制作をお願いしており本当にお世話になりました。。。班のみんなにも世話になりました。
映像はこちらです。懐かしい。 主演は僕だし家の場面は僕宅です。

 あとユニゾンのライブ行きました。大学の友達と行けて頭ブンブン振り回してたのでとても楽しかったし満足です。そのときの僕の髪の毛面白いので載っけますね、横の広がりと手首の曲がり具合に注目。リンク貼るとドアップになってしまうの嫌すぎて目隠しました。

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2月
バイトを始めました。そこの人らにフォローされてるか知らないですけど、言っちゃうと自転車屋さんでした。残念ながら高校時代に足を破壊した*2自分には立ちっぱなしはとても辛く、毎日家に帰る頃には足に乳酸溜まりまくりで地獄でした。あと忙しい時間死ぬほど忙しく、それはまだしも暇な時間が暇すぎる。何もしない時間が嫌いすぎて苦痛でしかなかったです。4月で新しいバイトを始めることで距離を置いてしまったんですけど、人が嫌いとかじゃなくて向いてないんだなって素直に思いましたね。
福岡に遊びに行く予定だったのですが行きの飛行機を乗り逃しました。地元静岡から飛んだ同行者にはしこたま怒られました。そりゃそうじゃ。もつ鍋がうめうめでした。また行きたいなあ。
 帰りは夜行バスで帰りました、12時間。死んだ。
 
3月
誕生日で20歳になりました。この辺りで飛行機乗り逃し浪費による貧乏生活に入ります。4月後半までそこそこひもじかったです。それなりにバイトはしてましたが給与入ってくるのってそんなにすぐじゃないんだなってこの時身を以て実感しました。
色々酒を飲み始めましたが未だに全然知らない。
TOJO K-ONの3月ライブに出演しました。12月くらいからちびちび準備してきて一発、とても難しかったけど楽しさも感じました。
ただ、これが終わったあとに辞めようということを決めていたのですが、ライブ前後とっても楽しくて楽しくて続けようかと揺らぎました。このバンドでもう一回出たいなという気持ちがとても強かったです。
終わった後にメンバーで喋っていたらVo.の男が一言不意に、「もう一回はいいかなあ」。
この一言でもう次はないな、って気持ちになりました。彼にケチつけるとか責めるとかではなく、これで終わりだなって気になっちゃってそのままそれ以降顔出さなくなってしまいました。 
 今まで言わずに過ごしてきちゃったけど、親身になって色々面倒見てくださった先輩、ろくに来やしないのにきた時声かけてくれた同期には感謝しかないです、ありがとうございました。
今度すれ違ったら声かけられるように頑張ります。
 
4月
新しいバイトを始めました、元々こっちを1月から始めるつもりだったんですがシーズン制なもので途中加入という形が取りづらく、結果年度明けになってしまいました。
mast18が入ってきたなあって。オリエンテーション手伝うの結構楽しかったのでmast18の人はぜひやってみたらどうでしょうか。
後ろから迫ってくるどころか追い抜かれてるので、殴り合いするとかじゃなくて刺激をもらえたり与えたりできたらいいですね。
 
最近すっかり忘れてたんですけど、この時期DNG*3に入ろう、と思っていてプレゼミ的なのまでは参加しました。
論文をサーベイしてまとめて出す、てな感じでやっていったわけですが慣れない作業と学期中の課題が相まってそれなりに心理的にきてました。しかし一度言ったことをすぐに撤回してやめますって訳にはいかないな、と思っていたのでテーマ決め直前まできました。
が、テーマが決まらない。何をやりたくてここにきたのか思い出せない。
漠然と浮かんでいてもサーベイした上でも具体化できない。僕がいる場所じゃないと思いました。
そして去年の記事にも書いたんですけど、授業サボって何か作業をしようっていうのができないんです。要領が悪くて。寝坊して2コマ目から行くやつは平気でするんですけどね。(まだ読んでない方とか新入生とかは是非読んでいただいて感想いただけたら嬉しいです。去年の僕だけど。)
やっぱりマルチタスク向いてないし、DNGの知り合いは入ってから考えればとも言ってくれたけれど水が合わない気がして、5月手前ごろに結局何か理由をつけてリタイアしてしまいました。
入って得るものは大きいでしょうが、僕的にはこの4月のうちだけで色んなことが見えてきて得たことはあったと思うので、今更言うのもなんですがやってよかったと思ってます。そのあとの落合先生の授業で論文をまとめることになってそれなりに読めるようになったので、そのときもそれなりに大変だったけど。
死ぬことが目標ではないなって最近気づきました。
 
5月
5月に入り、DNGの担当の方に辞退を申し入れました。中盤くらいでリタイアだった気がしますけどもういいです。
そして特演履修を決定し、担当教員にテーマを見せにいく段階です。
正直、今の担当の先生だからこそ知れたことがたくさんあったので履修してとても良かったと思ってます。
ちなみにテーマは「Arduinoを用いた小型カメラ用スタビライザーの製作」です。想像だにしないしょーもな物体が生まれるとはこの時の僕はもちろん知りません。
 
6月
気がつくとテストの大嵐。「確率と統計」落単危機に見舞われるもなぜか単位が来てしまう。この落としかけた経験が秋ABで活かされると思ってたんですけどね。ダメでしたね。
 
7月
我儘によるお恥ずかしい限りの出来事、ここではお話ししきれません。諸方面には多大なるご迷惑をおかけしました。*4
本ッ当にごめんなさい。
ニトリのペンギンのぬいぐるみが1400円から1200円に値下げされてて「買ったろ!w」ってふざけて買ったんですけど、今年1の買い物でした。彼がいなければ僕はメンタルが保たず今頃人の形をしていなかったでしょう。ありがとう、ペンギン。
 
8月
バイトと帰省。寸又峡っていう静岡県中西部の秘境的スポットに写真を撮りに行ってきました。SLが走ってるんですよ、残念ながら撮れなかったんですけど。静岡はやっぱりいいなって思いましたね、就職は知らんけど。
 
9月
8月に特演の面談をろくにやっておらず焦り出す。この辺りから本腰を入れ出して、制御モデルのシミュレーションを行うためMATLABを触り始めました。しかし未だ知見を得ておらずろくに触れもせず。
初めて欅坂の握手会行きました。可愛かった、推しが。その話はこちらで。
 
10月
mast17有志でT+展示を行いました、9月終わり結構ひどいことになってたけど無事形にはできたかなと言った感じです。みんな個性あって楽しかった。
そしてガチで焦り出した特演中間発表。ここからFusion360との長い戦いが始まります。TLの先輩方にお世話になりました。Yさんはもう感謝してもしきれないです。
多分この下旬から先生からお声をかけていただき研究室の席をお借りして作業し始めました、有難い限りです。この先生じゃなかったら今頃終わってたかもしれない。
 
11月
学祭。ステージを手伝ったり、たこ焼き売ったりプラネタリウム上映したり。ひらがなつくばが良きでした。
エンジョイしすぎてて半ばまで特演を進められず、気づいたら推薦休み直前。慌てて創房へ向かうもモデリングのミスにより結局推薦休み後まで筐体はありませんでしたとさ。
 
12月
3Dプリンターのある創房のWelcome Hourのために春日からエクストリーム*5する日々。
主導してたクラ代の連絡会を最後にクラ代としての使命が終わりました、実質的に。クラ代は個人的に居場所の一つだと思っていて、帰属意識が比較的学類にある人種なので春日でまとまって新歓したり交流するにはとてもよかったし楽しかった。ここで知り合った人多いしね。
そして大学と創房と家を行き来する生活、思い通りに動かないモーター、見かねてコードを書き出す先生、深夜2時床に溢したワッシャー、炎上とか言ってたらマジで発火したモータードライバー*6。まだまだ語りつくせませんが、研究室の先輩方とお話ししてそこそこ親交を深めさせていただけたのではないかと思います、研究室って環境をいち早く知れたのは良かったです。
12月入ってから焦げ臭さ幻臭(?)と煙の幻覚が見えるようになりました。怖いね。
そして、来たれり三連休。特演テスト勉と燃えに燃え、クリスマスイブは男3人でデニーズに行き(一回ココスに向かってしまった)、クリスマスはテストと最終発表と七福で終わりました。6+2分枠を1分半オーバーする体たらくを見せましたが何はともあれ無事に着地して終われたことは喜ばしく思います。終わってみれば意外と呆気ないものですね、なんでも。
テストも本日で全て終わったので冬休みです。もう静岡帰ります寒い。
 
あなたはどんな風に一年を過ごしたのでしょうか、僕はこんな風に過ごしました。
 
この一年で自分が得たこととしては、比較的人に流されないようになったことだと思ってます。
いまだに人がやってることを見ていいな〜楽しそうとは思うしやってみたい!とも思うんですけど、取捨選択とか何からやろうとか、そういうことを自分で意思を持って決めることが大事だなって具合です。
最近の話ですけどCOJTっていうプログラムが情報学群であるんですけど、ちゃんと考えて取らない選択をしました。人よりもキャパがないしちゃんと取捨選択していきたいですね。
物事を勉強するにはやっぱり苦労とかわからん!ってなることが明らかに必要ですし、興味あったけどやってみてマジで無理...ってなったらそれは向いてなかったんだなってことにして他の方面に手を出すのもアリではないかなあとは思います。
DNGに入ろうと試みたあたりから今までを鑑みると、やっぱり人によってキャパも能力も違って誰しもスーパーでグレートな偉人になれるわけじゃないし、きっと僕は大した人間には将来ならないのかなとも思います。何者にもなれずに死ぬんでしょうかね。これはおぬきくんの「ハタチのトシなので自分の人生を振り返ってみる」に少し通ずるところがあるかなと思います。
それでもこれは別に諦めとかではなくて、それで何か成したならそれでいいし、成さなくてもいいし。僕の人生は僕のもんだと思ってるので好きなようにいきます。みんなも好きなように生きよう。でも迷惑はかけすぎないようにしたいな。
来年はブログタイトルみたいにわたがしふわふわってぐらいに生きていきたいですね。
 
ここまでお付き合いいただきまことにありがとうございました。
去年に比べたら随分健全に書き終わりました、これもまた成長でしょうか。
遅れた件については本当にごめんなさい、これからは頑張ります(?)
次は2019AdCですかね、また会いましょう。良いお年をお過ごしください。
 
 
 
 
 

*1:情報メディア特別演習。2年次開設で担当教員のもとで定めたテーマについて開発等を行い、12月25日付近に毎年最終発表会を行う。

*2:卓球部時代、貧弱な足に対してランニング,ダッシュに加えサーブ,スマッシュの踏み込みを強くすることにより無事膝の腱と脛を破壊。脛は疲労骨折しました

*3:図書館情報メディア系落合陽一准教授主宰デジタルネイチャー推進戦略研究基盤、一般に落合研とかそういう表記をされる。

*4:痴情のもつれ。自分の中では本人にまだ謝りきれていないのでちゃんと謝りたい。

*5:エクストリーム移動。春日と本学の行き来を爆速で行う。

*6:視界の端で閃光が見え気がついた時には焦げ臭い匂いと煙が。モーターは放置してはいけません。ちゃんと電源落とそうね。

好きなアーティストについて話したかった

この記事は klis雑に愛を叫ぶ Advent Calendar 2018 の15日目です。

前日はうださんの「オタク特有の長文布教記事」でした、読みごたえのある文章です是非に。 

こんにちは、かとゆーと申します。klisと冠しているカレンダーですので自己紹介を軽く。

情報メディア創成学類2年、いわゆるmast17という所属です。普段何をしているかというと何もしてません。春日だしお隣だから知り合いもそこそこいるな〜ええやろと思ってぶち込みました。

好きなことについて喋っていいっていうから好きなアーティストについてお話ししたいなと思って。1曲ずつくらい紹介できたらなと。
 
去年の8月、欅坂から入門いたしました。冠番組をちゃんと見だしたのは欅→乃木→けやきです、けやきは始まったのが今年ですけど。
まずは欅から。少し前から気にはなっていたんですが、始まりはマガジンで菅井友香を見てこれは可愛いなと思ったところからですね、推しがふんわりでも心に浮かんだらそこからは一直線です。
あと小池美波。先週チャンピオンの表紙飾ってたけどまーこれが。可愛い。可愛らしい関西弁もよきよき。怒ってるのすら可愛い。
 
けやき坂ではまず東村芽依。めいめい。ちゃる。
最初何でこの子にハマったかわからないんだけど一時期クソはまりでした。
大人しそうに見えて実はモンスター、だけどテレビだと全然喋んない。泣いちゃう。
喋らない芸が板についてきたけどやっぱり喋ってるところおじさんみたいな〜〜〜〜〜〜(1個下)
 
ついに9月握手会まで行っちゃいました。5次抽選くらいだったのですが当時少し気になっている程度のけやき坂2期生の宮田愛萌さんのレーンで完全に落ちました。ジェラトーニの耳つけてました。天才か。トークに課金し始めたところ少し前にディズニー行ってる投稿がなされてたようなので情弱に成り下がってしまいました。
宮田愛萌さん、あざとい。多分あざといのに弱いです、僕が。完全に落としにきてる。
そういえば宮田愛萌さん、夏川椎菜さんとマツモトクラブさんと3人で「最低の出会い、最高の恋」っていうWeb小説アンソロジーを先日出されました。324円だったのでぜひリンクから買って読んでみてください。良きです。

ebookstore.sony.jp

 
乃木坂だと秋元真夏とか北野日奈子とかいいな〜って感じだけど推し!!!って感じの子がいないんですよね。もちろん可愛いんですけどみんな。きいちゃんの写真集だけは買った。乃木坂工事中は間違いなく面白い。
 
 個々人の話をしたんですけど、最近新しい子らが発表になって、乃木欅共に卒業するメンバーが今年は多くて、転換期に来ているのかなという感じです、ぜひこれからも応援していきたいね。

少し前とやや路線ずらしたアンビバレント。そろそろ新曲くるのかな〜楽しみ。

 けやき坂46アルバム代表曲的存在、かっこいいんだよこれが。

初見は泣きかけた。なーちゃん卒業後の乃木坂が見ものですね。

 

  • DAOKO
紅白おめでとう!!!!!!!!!何歌うんだろう!!!!!楽しみ!!!!!(情緒不安定)
可愛い。声が。顔が。ウィスパーボイスなどと言われている彼女ですけど、時折現れる力強さにぐっと惹かれますね。ラップ側からメジャーデビューして一般受けと融け合った感じがパンピーの僕にぶっ刺さりました。可愛い。つり目最高。
 
そんなDAOKOさん、12月10日、3rdアルバム「私的旅行」が発売されました。ストリーミングはこれから入ると思うのでそういう系サービスに加入されてる方はぜひ聞いてみてください。僕は「オイデオイデ」と「涙は雨粒」ヘビロテしてます。なんならCD貸します。
「僕らのネットワーク」、良いので聴いてみて。

  追記(12/15):Amazon Music Ultimateプランでは「私的旅行」ストリーミング開始を確認しました。聴いてね!

とある映像制作系の講義で「世界の中心で愛を叫ぶ。」の映画のネタバラシ(カス)をしつつ解説を教員がしてたんですけど、最後の最後に流れてきた「瞳を閉じて」がよさみでした。みんな同じこと言ってた。
そこからちびちび気になり始めて、結構昔の東洋タイヤのCMだった「愛にこだわれ」を発掘しました。(YouTubeに映像がなかった)
曲名も知らずに平井堅のなんだか疾走感あるカッコいい曲としか覚えてなかったので損してたなあと。即買いました。
ていうか東洋タイヤと平井堅の親和性がすごい。これとか。

youtu.be

もう平井堅関係ないけど東洋タイヤのCMの中ではこれが一番好きです。かっこいい。

最近、コンビニでお買い物してたら平井堅の歌声が聞こえてきてとても感傷的な気分になりました。好き。
 
  • WEAVER
ハイトーンボイスが一般に好きなんですけど、あまり見ないピアノバンドとVo.杉本雄治のスウィートなハイトーンが合わさって爽やかロックを奏でてくれます。
最近Dr.河邉さんの書いた小説「流星コーリング」と曲をコラボさせるプロジェクトを8月くらいにしてて、ああそういう心意気いいな〜やっちゃうのいいな〜と思いました。
かっこいい系の曲からピアノバラード系まで広くこなせる、独特の世界観を曲にドンってぶつけてくる感じの素敵なバンドです。ライブ行きたいな。

小説コラボした曲「最後の夜と流星」。

 
 語れるほど詳しくないけど最近某氏のおかげで再燃してきたので。
2014年くらいに卓球マンガ「ピンポン」がノイタミナ枠でアニメ化しまして、おおこれはと見ていたのですがEDを担当していたのがメレンゲ。なぜか一緒に見てた親がハマってアルバムを買い車でずっと流してたことにより頭に張り付いてしまい、TSUTAYAで借りて聴いてました。
昔と方向が少し変わって2010年代くらいからキャッチーな感じになってパンピー僕がとっつきやすい感じの音楽になりました。
スターフルーツ、好きです。

 

 

好き好き好き〜〜〜〜〜。もう語りきれない。ハイトーンボイス好きと曲センス、あとライブの上手さ。巧さ。
普段からどのアーティストでもメロディから曲を好きになるんですけど歌詞わけわからないのもあって完全に僕向きでした。歌詞いいぞってなる系の人はもしかしたら聞いても「?」ってなるのかも。みんな大好き妖怪Ba.田淵智也の作曲はマジで天才。
加えて顔大好き声大好きGt.Vo.斎藤宏介とスプラ甲子園近畿予選3回戦負けバケモノDr.鈴木貴雄の3人。キャラが濃い。
 
初めてCD買ったアーティストがこの人たちです。DUGOUT ACCIDENTっていうカップリングとアルバム曲の良曲を凝縮したアルバムだったんですけどこれがまたいい。
 
あとCDの帯についてる一言がいちいち好き。少し歌詞になぞらえてるんです。
ボールルームへようこそ」1期OP「10% roll, 10% romance」の帯、「4年後もどうせ、君が好き。」とか最高じゃない?帯にそんな言葉使う?普通。
誰が考えてるのかわからないけど十中八九ロマンチスト大暴れBa.田淵智也さんなんだろうなって。
 
あとライブグッズ。Dr.鈴木貴雄大先生によるデザインが良い。想像以上に良い。普段使いができる。通販サイトのROCKET-EXPRESS、貼っておきますね。

UNISON SQUARE GARDEN | SMA公式グッズ通販サイト【ROCKET-EXPRESS】

 
そういえばライブ行ったんですよ1月末。最高に激アツだったんですけど、最近行ったライブが音源化したので買ったら「自分が行ったライブの音源って素晴らしいな」と思えました。最近出たライブDVDも買いそう。
ニゾンしかライブに行ったことがなくて他のに行ってみたいなとは思うんですが、ライブ童貞はユニゾンに捧げて大正解だったと思ってます。しかも武道館。最高。
来年2月からツアー「MODE MOOD MODE ENCORE」が始まるんですが、当たりません。なんでだろう。

みんな大好きシュガビタ。ライブはさらなり。

 
 
さてさてここまで8組くらい?好きな人たちをザーっと書いてみました。
気になったアーティスト、すでに好きなアーティストがいたら僕にリプでもDMでも想いをぶつけてください。また、坂道でも坂道じゃなくても、ぜひこの子を!このアーティストを!っていうのあったらガンガンお願いします。待ってるぜ。
 

 

ペンフィールド生誕祭🎉🎉🎉

こんばんはお久しぶりですかとゆーです。

久しぶりに開きましたこのページ。何に使うか全然考えてなかったし最近は存在忘れてました。

先ほどツイッターに載せたんですけど140字の制限にいらっとして書きたくなったのでこっちにも書こうかなと。f:id:yuik2525:20180126025650p:plain

たまたま先ほどGoogleのトップページを開いたところなんと今日は僕の大好きなペンフィールドの誕生日ということで、ペンフィールドの紹介を。

 

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ワイルダーペンフィールド氏はアメリカの脳神経外科医で、ペンフィールドホムンクルスと呼ばれる脳が身体の部位から受ける入力に対する面積を可視化した体性感覚区分を発見した方です。このクソ気持ち悪い図がペンフィールドホムンクルスです。

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生物の図表に図だけ載ってるんですけどそんなに大きくは載ってないし試験にも出ないレベルだと思うんですけど、もう当時はこの気持ち悪さになんだか惹かれてしまってすぐさま調べてました。図表のは色付きでさらにとても気持ち悪かった。

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これが先ほどの図の入力に対する面積比を元に作った小人で、これを元々ホムンクルスと呼んだそう。正直なかなかにグロテスクですが、人間の神経の入力は手とか口とかに多くて、胴体とか結構少ないんだみたいなのが視覚的にわかってとても良いなって思ってます。

 あとさっき調べて知ったのが脳に電極ぶっ刺して刺激させて記憶を鮮明に蘇らせるのも発見していたそうでめちゃくちゃおもろいなってなってました。さっき指摘されちゃったんですけど彼はてんかんの治療の目的でこれを発見したのできっとマッドなサイコパスではないんじゃないかな〜〜〜〜って信じています。確証はないです。

これとまた別に、実体二元論という思想を唱えたりもしてるみたいです。デカルトが代表的な論者とされている上、探した限りでは最初に唱えたのがペンフィールドっていうの見つからなかったんですけどまあ良しとしましょう。

この世界にはモノとココロという本質的に異なる独立した二つの実体がある、とする考え方ですね。これには魂の存在を前提としているって感じで、他の何にも依らずそれだけで独立して存在しうるものの事を言い、脳が無くとも心はある、それが魂みたいな感じですかね。

こういうこと考えるのめっちゃ好きなのでとても僕の趣味思考にあった人物なんだなあって勝手に思ってます。笑

ところでこれ調べてて思ったんですけど、Googleトップの画像の人物についてまとめているブログがあるみたいで、もうペンフィールドのことも僕が投稿した時点で僕が書いてあること以上に深く書かれていてとても悔しい気持ちでした。悔しかったので一切引用してないです。全部参考にしたのがWikipediaなのもそれはまたそれで悔しい。

今晩はこの辺りで寝ます、楽しかったですお休みなさい。

 

出典,参考,引用

ワイルダー・ペンフィールド - Wikipedia

体性感覚 - Wikipedia

実体二元論 - Wikipedia 

 

クソ真面目さに苦しめられながら生きている話

これはcoins Advent Calender 8日目の記事です。前の記事は@yuikimilくんの「筑波大学周辺のアパート事情 - ゆいきのーと」になります。

 
初めまして、mastAdventCalendarが既に埋まってしまっていたということで乱入させて頂きました、かとゆー(@ITF_katoyu)と申します。mast17からやって来ました。
実は以前coinsを志望していたりで浪人してたんですけど結局mastに入ってしまいました。理科が全く出来ないということで夏頃に逃げたのですが、思っクソセンターで爆死、しかしその後何故か当時自信満々だった僕はmastに特攻し何故か合格してしまいました。世の中何が起こるかわかりませんね。
 
coinsの方にお邪魔した上でアレなんですけど、この記事は不特定多数を不快にする恐れがあります。壮大な自分語りなので当然ですが200%エゴです。エゴというか私見。ただただ誰かに聞いて欲しくて書きました、読んで後悔しても責任は取りません自己責任でどうぞ。何書いてもいいって聞いてるので。()
共感はあまり求めても仕方ないので、これを見てこいつはこんなこと思って生きてんだなってことだけ思っていただけたら有難いです。すごく身勝手なお話ですが、少しの時間お付き合いよろしくお願いします。

はじめ

先に言います。僕の性格はクソ真面目* です。自分で言ってて気持ち悪いのはわかります、ごめんなさい。それでもイキリとかじゃなくて、どうしようもなくクソ真面目なんです。何事にも筋を通さないと気持ちが悪いし、課題やタスクを締め切りまでに終えられないと罪悪感のような何かで心臓を締め付けられて最悪死に至ります。端的に言えば要領がめちゃんこ悪いです。なんだったら最近は授業寝るだけで罪悪感です。授業を聞かないことで自分の理解が追いつかなくなることを心底恐れてしまうなんとも厄介な体質になってしまいました。しかも要領はすこぶる悪いので成績は別に良くない。
そして時々衝動的に根拠のない自信が出てきます。受験の時とか線形代数のテスト** とかですね。上手くいけばいいんですけど割と真面目にやってる(気になってる)ので、失敗した時の反動で大きくめそりめそりします。
今回はこんな感じの僕の性格について少し掘り下げて変遷を見つつ話したいと思います。
 
* 現状を変えようという意識はあるので四六時中100%この限りではない。
** 先日自信ありげに臨んだところ、計算ミスでボコボコにされて落ち込んでいます。

中学、高校在学中

勉強していても中学、高校と模試の結果はずっと悪いような人間でしたが「まあ自分はこんなもんか」と思えていました。クソ真面目さはほんの少しだけあったようななかったような。成績が悪くても特段凹んだことってなかったので、真面目成分は薄かったかもしれない。本当に凹んだのは全落ちして浪人が確定した時ですかね、今思えば随分ヘラヘラ生きてました。部活で怒られてもその場限りだったし、部活に真面目に取り組んでたかというとそうでもなかった方だと思うので何だか今からはちょっと考えられない感じですね。時の流れは不思議ですねえ。

浪人中

日々焦りながら過ごしていた僕は「真面目にやらないとまた受験で失敗する」、「講義サボったら授業に置いていかれてそこの分野が苦手になってゆくゆくは自分の首を絞めて死ぬからちゃんとやらなきゃいけない」、そんな心情で日々を過ごしていました。ここで完全に僕の性格はクソ真面目になりました。僕の中で授業をサボることは禁忌だったし、予習をやらないで望んだら痛い目見るのは自分だからと思って必死にやってました。浪人中はこんなもんで良かったのかもしれませんが。
この頃は周りの人間も浪人しているのでそれなりに真面目に勉強してたわけでこれを普通だと思っていたし、遊んでる人たちは結果的に悉く受験に失敗していったので正直ざまあみろぐらいに思っていました。
そんなもんだったのでクソ真面目は正義くらいに思ってたかもしれません、結果的に受かったしね。

大学入学から

晴れて大学に入学した僕ですが、何か今までと違うことに気づきました。それはテストの点で単位の有無が左右されることでした。今まで模試がどれだけ悪かろうと凹みもしなかった自分が、単位を落とすことを恐れて授業に出なければテストでしくじる、という心情を持っていることに気付いた時は怖気がしました。ここまで書いてもやっぱり再履はやーなので僕はテストに怯え続けてます。嬉しい人はいないですけど。

大学に入って視野が広がっていろんなことを考えるようになって、このクソ真面目さに本格的に悩まされるようになりました。周りの人が平気で全休創成していたりテストブッチしたりするのが最初は割と理解できなくて、どうしてそこまで出来るのか不思議で仕方なかったです。今となっては煽りとかじゃなくて、マジで尊敬してます。

最近考えてること

皆さんの共通認識として、ある程度根底に「法を侵してはいけない」「社会規範を守らないといけない」「モラルを持たないといけない」みたいなものは確実にあると思います。なかったらごめんなさい。それでもクソマナーで自転車で走ったり、イヤホンしながら自転車右車線爆走したり、酒を飲んで制御できなくなって暴れ散らしたり、こういうところってなんでなんだろうと思って。一般的に「悪いこと」を承知の上でしたがるのは何でなんだろうと。禁止されたらやりたくなる心理、わかるんですけど何かそれとはまた別な感じがしますね。
皆さんがどう思ってるかわからないですけど、講義を真面目に受けて、課題を提出して、割り振られた仕事を締め切りまでに間に合わせる、これらは守られてしかるべきだと僕は思っています。綺麗事言ってると思うかもしれないですけど本気で言ってます。
僕の中で授業をサボったりタスクを締め切りに終えられなかったりといったことはこの辺りと同義として扱われています。僕の中では「悪いこと」になっちゃってます。
「成績に響いても単位落とさなければいい」「別に単位落としてもいいや」という人がいるのも尊重した上で、僕にはこれが出来ません。病気ですね。
授業をサボれない、なんて話をすると割と驚かれます。しょうがないじゃんこれが僕の中の常識なんだから、みたいにいつも思ってます。18歳までに受けた教育と得た偏見が常識になる、とはよく言ったものだなあ。
このクソ真面目さを捨てるべきかどうか、いや本当に捨てることができるのか。僕の常識はそう簡単には揺るがないと思うのでどうにかして平和に生きられるようになりたいですね。

よくないところ

僕の良くないところは他人は他人と割り切れないところですね。他人に僕の持つ真面目さを押し付けて「あいつはあんなに不真面目だ」「あいつは生活がグチャっててダメ」とか思っちゃうんですね。この辺りについては人の生き方なので口は出すべきではないんですけど、それでも僕なんかよりスペックの高い人間はこの大学にはいっぱいいるので劣等感と嫉妬ですかね、それに押し寄せられて割と頻繁に陰鬱とします。

周りの人間と違うことをすることに未だに不安を感じている節があるのでこういう風になるんですかね。自分と他人は違うことをいつか自分で自然と認識できる日が来たらいいなあ。

とは言ったものの自分も最近になって朝起きられなくなって時々授業出なくなってたりしてます。ダメですね。

性格上、基本的に物事をやり遂げないと気持ち悪いしそれを曲げることも出来なくて、さらに無駄に完璧主義の面を持ってしまっているという融通のきかない至極残念な人間なので、本当に生きづらい。

現在

今現在はこれに悩まされた真っ只中にいます。何が自分にとって一番正しいのか、何が一番大切なのかを突き詰める必要があるなあと。僕はこの大学にドベの方で入ったので、もっとチャレンジャー意識を持って生きたいですね。出来もしないのに無駄に英語A1なんて入っちゃうからもしかして英語出来るのではみたいな妄想をしてしまうわけです。クソ真面目さがゆえにTOEFL ITPも真面目に解いてしまったわけですが。

それと他人と比べちゃう理由として、自分に誇れる何かがないからなのかなあなどと。それがなくても生きていける人はいいかもしれないですけど雑多な何も出来ない人間であることに大学に入ってから嫌悪感を感じるようになりました。こんなこと言っておいて未だに何も出来ません。授業でやっているC言語だって人より理解できてないし数学も英語もできないし。趣味でも技術でもいいので、何か夢中になれることをやってみてそれなりにまで持っていけたらいいなと思ってます。

こんなまとめ方したものの心の中ではまだ何もまとまってないんですよね...()

おわり

アイデンティティとして「クソ真面目さ」と今後どう付き合っていくか、これから考えたいです。気持ち悪くなった方がいたらトイレに駆け込んでください。報告はいらないです、メンタルお豆腐なのですぐ悲しくなっちゃう。

最後に、駄文でしたが最後まで読んでくださってありがとうございました。